カイベーのメコンデルタクルーズでおもしろいのが、地元の古民家訪問。ミトーだと、ココナツキャンディー工場や蜂蜜工場の見学なのだが、こちらはより生活に近い場所を見せてもらえるのだ。個人的には、デルタクルーズで一番楽しみだったのは、これ。
1軒目はチャン・キエットさんというお婆ちゃんのお宅。
19世紀半ばに建てられた農園主の屋敷が、JICAや日本の大学の協力で補修されてほぼそのままの形で残されている。運河沿いの土手に洋風の門があり、リュウガンやマンゴーなど果樹の植えられた庭を抜けて、テラコッタ風タイルのアプローチが母屋へと続く。
赤い屋根瓦が美しい、大きな平屋の屋敷が姿を現す。(左写真)
事前に見たガイドブック(「ベトナム町並み観光ガイド」岩波アクティブ新書)では正面が洋風煉瓦造になっていたが、どういう事情か木製の縦格子に変わっていた。正面を洋風の煉瓦造にするのは、1920年代フランス植民地時代に流行したスタイルなのだが、オリジナルの形に戻したのだろうか?
広くてゆったりした空間に驚く。外は暑いが、中は風通しが良くて過ごしやすい。入って、すぐ右側に家主のおばあちゃんがニコニコしながら座っているのでご挨拶。
左写真はそのおばあちゃんが使う、ハンモック。家の一番良い場所でハンモックに揺られて過ごせるなんて!
屋根は瓦がむきだしで、天井がなく、家の構造も素朴このうえないが、中国風の木製の透かし彫りや螺鈿細工の内扉や間仕切り(右下写真)、木製のアンティークの家具や飾り(左下写真)などなど、とにかく内装が見事。この家の財力や豊かさを暗示している。
日本に戻ってからブログ仲間の推薦で読んだ司馬遼太郎さんの「人間の集団について~ベトナムから考える」でも、メコンデルタのサデクの民家を訪ねるシーンが出てくる。
「 家屋は、お堂のようになっている。
大ざっぱな分類でいえば、床をつくる南方式(日本もそうだが)ではなく、敷きがわらを敷いた 土間形式の、つまり中国式にやや近い構造である。入るとすぐ土間で、土間ぜんたいが祭壇に
なっているのがめずらしい。(中略)民家というより、村の庵寺のような感じなのである。」
比較するのもおこがましいが、的確な表現に恐れ入る一方で、その印象の変わらなさ加減にも驚く。司馬さんが訪れたのは1973年で、アメリカは撤退したものの、いまだベトナム戦争のさ中であり戦闘地域の話である。撮影禁止の標識がそこら中にあり、2年後に南北統一されることなど全く予想できない状態だったようだ。たった35年前、歴史は変転するが、人間の皮膚感は大きく違わないのだろうか。さらにこんな印象も。
「 若いころ、
万福寺を訪れた時、專を敷きつめた廊下で、紫壇だったか黒壇だったか、南方材で
つくられた簡素なイスをあたえられて、しばらく待たされた。右手の庭に、真夏の光りがあふれ
ていた。
そのときの光景と、いまこのイスにすわっている感じがそっくりなのは、なかだちとして中国の
文化が存在してくれているからである。」
裏庭には広大な果樹園が広がる。スターフルーツ、マンゴーやバナナなど南国のフルーツがあるのは当たり前として、一番の実りの時期を迎えていたのがザボン(左下写真)。もっぱら九州名物と思い込んできたが、意外とルーツはベトナム?その実の大きさっぷりにもビックリ!
ぐるっと果樹園を一周して母屋の前に戻ってくると、左下写真のようにとれたてのフルーツの盛り合わせがセットされていた。どれもこれも実に甘くておいしい。ガイドさんは、滋養に満ちたメコンの水のおかげで、甘いのだ、中部や北部ベトナムのフルーツとは別物だと、郷土愛に満ちた発言していたのが印象的だった。この豊かな環境を目の当たりにすると、妙に納得できるものがあった。
そんなことを言いつつ、フルーツの皮や残りで彼女が作ってくれたのが、天秤棒と籠のおもちゃ。小さい頃は貧しかったから、子供はみんなこういう玩具を自分で作って、買い物ごっごをして遊んでいたとのこと。うちの娘も見よう見まねで、目を輝かせながら作っていた。(右上写真)
素敵。物質的な豊かさと精神的な豊かさって必ずしも一致しないなあ、と実感。
こうしたフルーツの用意も含めて、チャン・キエットさんちは、かなり観光客慣れしている感じだった。釜屋という台所の隣には、右下写真のような宿泊施設もあり、その部屋の前にはトレーニングマシーンも置かれて、欧米人のバックパッカーがやって来そうな雰囲気。時間があれば、ホームステイしてメコンデルタをよりディープに楽しむことができるコースもあるそうだ。
司馬さんが訪れた時代には想像できなかった、自由と平和に感謝したい。